写真をみながらデッサンを描いて気がついたこと。

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 写真をみてデッサンをしてみて気がついたことがあります。写真をみて描くというのは実物が目の前にない状態で、実物がうつっている写真だけをみてデッサンをするということです。写真の中のマルスとかヘルメスを描いたときはあまり気にならなかったのですが、ヴィーナスを描いたときにはものすごく感じました。あ、描きにくいなあと。

 マルスやヘルメスは普段よく見るし実際にデッサンを何度かしたこともあるので、どんなかたちをしているのかなんとなくのイメージをもっているのですが、あまり見慣れていない像(←じぶんの場合だとヴィーナス)の場合だと写真だけではその像がどんなかたちをしているのか掴みにくいです。

 通常ならば回り込んだり見上げてみたりモチーフをさまざまな角度から確認することができるのですが、写真の場合だとひとつの角度からしか見ることができません。造形を知る手がかりは写真に写っている情報のみです。とはいっても、そっくりそのまま色やシルエットを写せばリアリティーも出てくるし済むはなしなんですが、どことなく違和感を覚えるのです。写真だからといって奥行きがまったく感じないわけではないですし、石膏像などはにんげんに似たかたちをしているのでどこがくぼんでどこが出っ張っているのか検討もつくのですが、やっぱり落ち着きません。奥行きがわかるといっても直接像をみるほうがより確信を持って立体を知ることができるからなんだと思います。

 

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 今回、写真を見て描くときに描きにくいと思えたのはちょっとうれしかったです。なぜならふだん、ひとつの角度からでなく(平面的な図形などでなく)立体を感じてデッサンしているからこそ写真を見て描いたときに不思議な感覚を持ったのだと思ったからです。

 また、もうひとつ嬉しいことがありました。よく知っている像は描きやすいということです。あたりまえのことかもしれませんが、今回は体験からその感触を強く味わいました。ヴィーナスって微妙な曲線があるし表情があるし傾きがあるし、これといったとっかかりもない像だから描くのが難しかった。そのような側面もあるかもしれませんが、それを除いても見慣れている像のほうが描きやすいような気がします。もちろん、見慣れているからってどこになにがあってどのくらいくぼんでいてという情報を正確に記憶しているわけではありません。それでも描きやすいと思うのはたくさんみることによって像の印象のようなものが脳に蓄積されていって、「ヘルメスはこんな感じ、マルスはあんな感じ」というようなイメージが想起しやすくなるからだと思います。にんげんだって同じですよね。一度会っただけのひとよりも、いつも会う人のほうが「そのひとの感じ」のようなものを掴みやすい。そのひとを見ずに似顔絵を描いてといわれても案外鉛筆が止まらない気がします。

 普段からよく石膏像を眺めておきたいと思いましたし、描くときもどのような構造になっているのかよく確認した上で作業をすすめたいと思いました。