お、やばいことに気づいたぞ! デッサン自己分析

部屋の整理をしていた。そしたら過去のデッサンがでてきた。自習のデッサンを見たとき、いまの自分に必要なのは「感覚」だと思った。これは先生たちからもいわれていることでもある。正直、学校で描いているデッサンよりも家で描いたデッサンのほうが見栄えがよくみえた。緊張感も学校の方があるし、時間的にも学校の方がある。製作中に先生からの助言も貰える。なぜだろう。自習のデッサンは書き慣れていない手や自画像がメイン。手や自画像は学校では一度も描いたことがない。(自画像はつい最近描いたが)これはいったいぜんたいどういうことだろうか。

 

「あ!」と思った。手や顔を描いたときには感覚的に気持ち良くのびのびと描いていた。初めてで、また、参考作品や先生からのアドバイスやコツなど予備知識など全くもっていない状況。どうしたら描けるのかさっぱりわからない怖さと同時にドキドキという面白さがあった。あとは大失敗をしても誰にも見られないので思い切って描くことができる。自習のときにはじぶんの中の感覚をフルに使っていた。

 

比べて。石膏デッサンを描いているときに自分はまったくといっていいほど感覚をつかっていない。原因はふたつあると思う。教本のようなものを読みすぎたこと。それもデッサンを始める前から読み始めた。本屋に売られているような本は一通り呼んだ。手元にもデッサンだけで30冊弱はある。

 

いや別に読む分にはわるいことはないと思うし、むしろ読みすぎるくらい読んだほうがいいのかもしれない。読みすぎがわるいのではなく本の使い方が下手だった。書いてあることを鵜呑みにしてしまっていた。いや上手いひとの説明だからいっそのこと鵜呑みにするくらいでもいいかもしれない、なんだろう、もっというと、本の作者から「デッサンをする上で大切なこと」のようなものを受け取ることによってじぶんの頭で考えないようになった。デッサンがうまくなるためには上手いひとの言葉や、作例を見たり聞いたりするほかには全くないと思ってしまっていた。理論ばかりで頭でっかちになっていた。実際のデッサン体験からはなにも学ぼうとしなくなった。常に本から得た、公式とか法則、決まり事なんてのが頭にあってそのことばかりでいっぱいになっていた。それさえすれば完成していくものだと思った。たとえば、いくらか角の張ったリンゴをモチーフとして描くときに、その張った造形を見る前から「稜線は強めに描く」という知識が先に法則として脳内にある。だから、モチーフのりんごのあまり見ずとも「りんごの出っ張りは強くしよう。そのためにはああすればいいんだな」のようなことを思い浮かべてしまう。ほんとうはしっかりとりんごの出っ張っている部分を観察し、感じ、そこからモチーフのりんごのその出っ張り感じにちょうど合う表現をするにはどうすればよいか考えた上で作業をしなければならない。試行錯誤の上に描ききらないといけない。おまけにりんごなんてのは見慣れているもので特に見なくとも記憶として強く残っているからある程度は描けてしまう。それゆえさらに観察が甘くなる。その出っ張りを見つけ、その出っ張りがあるからその出っ張りに合うように強くするのではなく、出っ張りは強くするという知識が先に頭にあり、その張りをモチーフの中から探すという作業をしてしまっている。さらにそれは目の前にある「その」出っ張りではなく一般化された出っ張りであってモチーフを味わい切れていない。うまく説明できないし、話がずれたり飛んだりちぐはぐなんだけど、とにかく感覚をつかっていないなあと。

 

まさに、石膏デッサンを描くときにいまその最悪の状態になっている。石膏を見ていない。観察全然していない。見ていることは見ているんだけどそれよりも頭の中は知識でいっぱい。 たとえば、自分から見て奥側にある部分を描くときに「奥は弱く。冴えた黒ではなくこすったような鈍い色にする。鉛筆はH系がいいかも。情報量は少なめに。でも奥だからと行って弱く描き過ぎない。さらに必ずしも弱いとは限らない。ギラッと見えるときもある。たとえば肩だったら首を通って手前の肩ににつながるように描く。回り込むも大事に。背景の白との当たり方。奥を先に描いて強さを決めておくと手前が書きやすい。」もう奥ってだけで、そんなことであたまがいっぱいになる。本当は、モチーフを見たときに「あ、そこは奥だな」なんかではなく、そもそも「奥」って意識ではなく、「あの部分はああいうふう見えるよな」「ほかの部分に比べて弱く(or強く)みえている部分だな」って意識のほうが大事なのかもしれない。そして「実際ああいうふうに見えているのはなんでかな」って考えが大事なのかもしれない。

 

もちろん知識がいらないわけじゃない。持っていた方がいいに決まっている。でも使い方を誤ると役に立つどころか自分の苦しめることになる。知識が先行であってはならない、あくまでも観察が先にありその補助として知識は機能しないといけない。これも先生たちからよく言われていることだけど今回は実際に感じることができた。実感というやつだ。

 

今日はコンクール。いきなり試すようでどうなるか不安だけど感覚的に情感たっぷりに楽しんで活き活きと描いてきます。欲を張ってもうひとつ気をつけたいのは大きく捉えること。これも広い意味では知識の範疇に入るかもしれないけど大事なこと。自習のデッサンはB3で描いていたから大きく見ようとしなくても自然と全体を見ることができていたおかげもあって石膏よりも見栄えがよいのかもしれない。よしはよ寝るぞ。

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